苔の蒸すまで

知人と夜、飲みに出掛けた。

まずい居酒屋でつまみもそこそこに近況を話し合う。

お互い相変わらずであった。

仕事もプライベートも「パッ」としない。

お互い「パッ」としない上に、努力したり勇気を振り絞って何かに挑戦したりと、現状や未来を「パッ」とさせようとしないところも同じである。

ただ、ぶつくさ現状の不満をこぼし合う。

まさに「類」は友を呼んだ。話が合い、気が合う。

彼と自分は見た目こそ違えど、世間へのアプローチの仕方や精神がクリソツである。

とにもかくにも「パッ」としない二人である。

「パッ」としないので世間からは目立たない。路地裏の苔みたいだ。別段、害は無いがありがたくもない存在。

いてもいなくても同じではなく、どっちかというといない方がいいのかもしれない。

まさしく「パッ」としない。

 

「パッ」としない。

現状、自分は自分のことを心から「パッ」としていない奴、イケテない奴と思っている。

しかし、もっと若い10代の頃とかはそうでもなかった。

「結構イケイケじゃん、俺。」と思っていたはずである。

今思うと、若い頃に思っていた「イケイケじゃん、俺。」というのも勘違いで、やはりイケテいなかったと思う。気付かないで調子に乗っている方が幸せなのか、はたまた現状をしっかりと受け止めて塞ぎ込んでいる方が救いがあるのか、自分にはわからない。考えたくもない。

 

二件目の店を求め、フラフラさまよう我々。お互い気の利いた店なんかにも詳しくないので苦労する。こんな野暮じゃあ、女性からは相手にされないわな。

安さだけが売りのような安居酒屋へ腰を下ろす。大して飲めもしないが、久し振りに飲んだため、えらく酔った。愚痴と不満、悪口がチェーンソーのように唸りをあげて机の上にばらまかれる。

後ろの席では若い男女6人くらいが、手拍子をしてイッキ飲みして、タバコをパカパカやって、ゲハゲハ大笑いしていた。

騒ぎかたは幼稚じみている彼らだが、きっと話す話題はポップだったりするのであろう。お花見、スノボ、イチゴ狩り、GW海外旅行の計画…とか。自分には陰湿な悪口、不満、愚痴しか言えない。

決定的に暗い。彼らは決定的に明るい。

彼らが発する明るい光によってできた暗い影が自分なんじゃないかと思うと、訳がわからなくなってくる。自分の産みの親は彼ら?

 

昔話が底を着いた所で、知人とは解散した。

帰りの電車では、酔いの気持ち悪さで思考がぐるぐる回る。

電車に乗っている自分以外の人すべてが優れた人に見えてくる。

イケテない男として、醜態をさらして力強く生きていくしかない。

周りから「ダサい」と嘲笑されても、「生きていて楽しいのか?」と哀れに思われようとも、仕方ない。