川内、アマやめるってよ

財務省の偉い人がセクハラ問題で辞任したり、新潟の知事が出会い系サイトを利用していたり、と醜聞がメディアを騒がせている。

Metoo運動といい、世の中における女性の立場がこれまでと変わっていく気配を感じる。

 

そんな中、マラソンランナーの川内選手がプロ転向を宣言した。公務員の傍らプロ顔負けの走りを見せて一躍時の人となった川内選手。スポーツにあまり詳しくない自分であるが、何となく好感を覚えていた。先日ボストンで開かれたマラソン大会(小学生か)で優勝し、その賞金で3、4年生活ができる目処が立ったことや、プロランナーの弟殿がメキメキと力をつけているのを見て、プロ転向を決めたらしい。

ニュースを知った時、自分の感想は、

「やはりプロでないと駄目か…」

であった。

日常の大半をそれに捧げる方が、そりゃ上達するわな。

マチュアがプロフェッショナルに完勝するなんて、やはり稀である。

普段はサラリーマン、緊急時だけ正義のスーパーマンに変身して世界一の強さを誇る、なんていうのはアメコミだけの話なんである。

あれは何だ?鳥だ!飛行機だ!…やっぱサラリーマンだ!である。

 

何かのプロフェッショナルになれない永遠のアマチュアである自分は、分類上アマチュアの川内選手(実力はプロ)にプロフェッショナルに打ち勝って欲しいという願望を密かに持っていた。川内選手がプロに勝っても、川内選手がどんどん凄くなるだけで、自分のステータスや地位が向上することは一切無いが、何となくそうなったらいいなぁと勝手な願い、それも飛びっきりに卑屈な感じの願いを持っていた。

情熱を注ぐ対象も無く、喜び悲しみを分かち合える友も無く、セクハラできるほどの地位も権力も金も無い。つくづく自分の小市民感が染み入る。川内選手発奮するだろうな。

トイレに行っトイレ

18:00頃、パーンッと会社を飛び出してみると、外が明るい。

「日が長くなったなぁ。」

とポツリと呟き、家路についた。

 

コンビニやデパートなど公衆気味のトイレで大きい方の用を足すときというのは、ドキドキとがっかり、よっしゃ!の感情がハッキリと別れる。

まず、最初の関門はトイレの個室が空いているかどうか。ドアの鍵が赤い時のがっかり、青い時のよっしゃ!感。

恐る恐るドアを開けて、そーっと息を吸う。前使用者の残り香がコッテリ残っていたら最悪。無臭だったときのよっしゃ!感。微妙に匂いが残っている時は微妙な気分。

以前、コンビニのトイレで鍵が青いのを確認して、ドアを開けたら、おっちゃんが普通に用を足していて面喰らったことがある。鍵が青で開いている時でも外のトイレは注意が必要である。

 

いざ、用を足さん!と便座に座る前に便座を軽く目視。除菌クリーナーがあれば、ささっと便座を磨く。

ここらでようやくズボンとパンツをおろし、ついでに腰もおろし、ふんっ!と力む自分。と、そこへドアを開けようとする人の気配、ガチャガチャという緊張の音。

「外で人が待っている…!」

こう思ったが最後、早くしなくてはという焦りが、それまでお腹にあると感じていた大便の気配および便意を見失ってしまい、自分はここで何してるんだ?という気持ちに。

何となく勿体無く思い、ウォシュレットで尻だけ濡らしてとっとと出よう、と思ったら!ウォシュレットの刺激のおかげで見失っていた大便・便意が再び現れ、試合再開。

「待っている人の尻のことまで責任持てるか」

と横柄な態度になる自分。

他人の尻よりもやはり自分の尻が可愛い。

現れては消え、また現れるという霞のような便意をウォシュレットの刺激を小まめに活用しつつどうにかこうにか大便の形だけは整えることができた自分。腸が空っぽ、という理想状態には程遠く、腹の中に何かある感じはあるが、まぁ及第点でしょう、とここで試合終了。

自分は便を出した瞬間、即座に水洗することで、個室内に匂いが充満しないようにしているので、割かし匂いは残さない方であると思う。便が肛門から出るときのヘンテコな音もかき消せるし、良いと思う。

 

腰を上げ、パンツ、ズボンを履き、手を洗い、ドアを開ける。

ドアの外では若い頃の三船敏郎みたく野獣の目付きをした兄ちゃんが待っていた。自分は頭を下げたか下げてないかギリギリの動作を無意識に繰り出す。あれは頭下げてたよ、いや頭下げてなかったよ、と人々の意見が別れる玉虫色の動作である。「待たせてすんません」という懺悔の気持ちと、「謝るくらいならとっとと出ろよ」と思われるかも、とか色々な自己解釈、自己弁護が渦巻き、玉虫色の動作に至った。

とにかく一仕事終えたかの如くにこやかな足取りの自分。さっきまで下半身丸出しでウーウー力んでいたとはおくびにも見せずに。

 

こういう微妙なやり取りを自分はほぼ毎日している。今後も予想外の出来事がトイレ界隈で起こるかもしれない。しかし、恐れていてはいけない。快適な脱糞するために、発奮する必要があるのである。

苔の蒸すまで

知人と夜、飲みに出掛けた。

まずい居酒屋でつまみもそこそこに近況を話し合う。

お互い相変わらずであった。

仕事もプライベートも「パッ」としない。

お互い「パッ」としない上に、努力したり勇気を振り絞って何かに挑戦したりと、現状や未来を「パッ」とさせようとしないところも同じである。

ただ、ぶつくさ現状の不満をこぼし合う。

まさに「類」は友を呼んだ。話が合い、気が合う。

彼と自分は見た目こそ違えど、世間へのアプローチの仕方や精神がクリソツである。

とにもかくにも「パッ」としない二人である。

「パッ」としないので世間からは目立たない。路地裏の苔みたいだ。別段、害は無いがありがたくもない存在。

いてもいなくても同じではなく、どっちかというといない方がいいのかもしれない。

まさしく「パッ」としない。

 

「パッ」としない。

現状、自分は自分のことを心から「パッ」としていない奴、イケテない奴と思っている。

しかし、もっと若い10代の頃とかはそうでもなかった。

「結構イケイケじゃん、俺。」と思っていたはずである。

今思うと、若い頃に思っていた「イケイケじゃん、俺。」というのも勘違いで、やはりイケテいなかったと思う。気付かないで調子に乗っている方が幸せなのか、はたまた現状をしっかりと受け止めて塞ぎ込んでいる方が救いがあるのか、自分にはわからない。考えたくもない。

 

二件目の店を求め、フラフラさまよう我々。お互い気の利いた店なんかにも詳しくないので苦労する。こんな野暮じゃあ、女性からは相手にされないわな。

安さだけが売りのような安居酒屋へ腰を下ろす。大して飲めもしないが、久し振りに飲んだため、えらく酔った。愚痴と不満、悪口がチェーンソーのように唸りをあげて机の上にばらまかれる。

後ろの席では若い男女6人くらいが、手拍子をしてイッキ飲みして、タバコをパカパカやって、ゲハゲハ大笑いしていた。

騒ぎかたは幼稚じみている彼らだが、きっと話す話題はポップだったりするのであろう。お花見、スノボ、イチゴ狩り、GW海外旅行の計画…とか。自分には陰湿な悪口、不満、愚痴しか言えない。

決定的に暗い。彼らは決定的に明るい。

彼らが発する明るい光によってできた暗い影が自分なんじゃないかと思うと、訳がわからなくなってくる。自分の産みの親は彼ら?

 

昔話が底を着いた所で、知人とは解散した。

帰りの電車では、酔いの気持ち悪さで思考がぐるぐる回る。

電車に乗っている自分以外の人すべてが優れた人に見えてくる。

イケテない男として、醜態をさらして力強く生きていくしかない。

周りから「ダサい」と嘲笑されても、「生きていて楽しいのか?」と哀れに思われようとも、仕方ない。

皆殺しのアニソン

今日は仕事で結構なミスをやらかした。

やっておかなくてはいけない作業を後回しにしたせいで、問題発生。

落ち込む。自分はポンコツだと思っていても、いざ失敗をすると気分が落ち込む。

くよくよしても意味無いが、落ち込む。

東京はポカポカ陽気で連日絶好の花見日和。この好天候は来週まで続くらしい。

関東の雨雲は代わりに自分の心を覆うため、やって来たのだ。

心に針のような小雨がパラパラ降っている。

 

帰りの電車。窓に映る自分の顔を呪いながら、TBSラジオ伊集院光とラジオと」を聴く。水曜は毎週楽しみにしている「アレコード」のコーナーがある。今日はゴジラ関連のヘンテコな歌。麻里圭子・ハニーナイツ・ムーンドロップスが歌う「ヘドラをやっつけろ!」がかかる。非常に伸びやかで爽やかな麻里圭子さんの歌声が気持ちいい。それが突然"トンボも~鳥も~皆殺し~♪"と物騒なことを歌う。思わず「フフフッ」となってしまった。

 

仕事で失敗した。自分は今まで生きてきて何回失敗してきただろうか。その回数が日本円に変化して、自分のメイン口座に振り込まれはしないだろうか。きっと記帳する。

くよくよしてないで、今回の失敗をきちんと受け止めて、反省し、2度と同じ過ちを犯さないよう振る舞いを改めろ!というのが、まともな社会人なのだろうが、「どうせ心を入れ替えた所で、また失敗するし」と卑屈な人生が卑屈な思考をもたらしている自分。

 

失敗失敗としつこく繰り返しているが、無職でボーっとしていた数ヶ月前にはなかった感覚である。失敗に落ち込む今夜も嫌だが、無職だったときののっぺりした毎日が続くのも嫌だった。働いても嫌、働いてなくても嫌。どっちにしても嫌なのである。行くも地獄、戻るも地獄。地獄しかないんかい。

 

悲しみと会社を出て、悲しみと改札をくぐり、悲しみと電車に乗り、悲しみとスーパーでお惣菜を選び、悲しみと家の玄関を開け、悲しみとスーツを脱ぎ、悲しみとシャワーを浴び、悲しみと惣菜をつつき、悲しみとテレビを見て、悲しみと皿を洗い、悲しみと歯を磨き、悲しみと布団に入る。

 

"失敗も~悲しみも~皆殺し~♪"

 

https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://youtu.be/Wo1t7aiQjUU&ved=2ahUKEwixkdGBsY_aAhXDm5QKHatQCnsQFjAWegQIBhAB&usg=AOvVaw06_m82ZiOVeNdq9kv7ng3O

 

振り向けばネアンデルタール人

景色やものを見るのに目玉の視力は大事である。が、未来や過去を見る時間的な視力もあると思う。ビートルズが大好きな人は1960年代を身近に見ているだろうし、同様に江戸時代が好きな人、西部開拓時代が好きな人、ダヴィンチの芸術が好きな人、…うんたらかんたら。2018年現在から何年、何十年、何百年離れていようと、心堂々として想いを馳せることができると思う。それって時間的な視力が良好なことのように思う。過去ばかりでなく未来に対してもあると思う。時間的な視力が良かったら、凄く楽しいと思う。

 

TBSラジオ伊集院光とラジオと」本日のゲストは医学博士 篠田謙一氏。氏は遺伝子の専門家とのことで、人類の祖先について非常にロマンのある話が盛りだくさんであった。

つい5年くらい前まで、ネアンデルタール人クロマニヨン人(現在の人類に近い)に滅ぼされた、という説が主流であったのが最近180度ひっくり返っているらしい。我々人類にはネアンデルタール人の遺伝子が数%入っていることが判明した。ネアンデルタール人クロマニヨン人に絶滅させられたというよりは、吸収されるような形で消えていったのかもしれないとのこと。

 

クロマニヨン人の子孫である我々にネアンデルタール人の遺伝子が含まれている。この事実にMCの伊集院は「文字通りの異種同士で愛し合ったヤツがいるんだ!」とテンション上がる。自分も全く同じ気持ちであった(恋愛したのか無理矢理かは知らんけど)。が!そのすぐ後の篠田博士の発言に自分は面食らう。

「交配した、愛し合った、そういったことがあった後、"できた子どもを育てた"というのが興味深いですね。」確かに!ヤルだけでなく、産まれた命を大切に育てたんである。それがもう、ウン十万年も前の話。「子ども作ったからっつってナンボのもんじゃい!」と独身のむさ苦しい自分は普段よく強がる。しかし、今日のこのウン十万年前から脈々と続く人類の話を聞き、生き物の"産まれて死んで"って凄ぇと思ってしまった。ウン十万年前からって、凄い。よくもまぁ飽きもせず続いてきたものである。何も知らずに産まれてくるからだろうな、きっと。

長い歴史の中には自分のようにうだつの上がらないダサい孤独な男もそれなりにいたであろう。自分はそういうヤツと焼酎の水割りを飲みたい。話盛り上がらなさそうだけど。

 

 

国会では財務省前理財局長 佐川氏の証人喚問が行われた。劇的な新事実は明らかになったりはせず。しかし、ニュースは大にぎわい。自分もテンション上がる。きっと黒幕がいるのであろう。テレビや新聞に出てこない影の実力者がこの事件の首謀者なのであろう。

この一件で世間からメタクソに言われているいわゆるエリートの人達。本当の国賊なのか、はたまた言うに言われぬ事情があり煮え湯を我慢して飲んでいるのか、自分には判断つかない。ただ、エリートは神経がズ太くないと務まらないというのは真実のようだ。

日本年金機構個人情報流出はとりあえずムカつく。

太平洋ひとりタッパ

朝、駅に向かう途中、突然青空から「ホー…ホケキョ!」と完璧なウグイスの鳴き声が2、3回連続で聴こえた。罰が当たる気がした。

 

昨日の日記で「小田急ダイヤ改正で混雑解消は無かった」と書いた。

ところが今朝の通勤電車(小田急)では明らかに乗る人が少なく、焦る自分。「えっ!…ま、まさか、ダイヤ改正の効果がようやく!」と思い、通勤中ずっと昨日の日記を自分は恥じた。「小田急ごめん」と口パクしながら、多摩川を見つめた。

会社に着いてハッとした。今、学生が春休み中で、そのために電車が空いていただけなのでは。小田急への憎しみが今までよりも確固たるものになるのを感じた。「許すまじ小田急」と口パクしながら夕飯の焼きそばを炒めた。

 

昨日の日記で「本当の本当の本当にアメリカの銃規制に動きがあるかも」と書いた。

毎日、通勤の電車(小田急)ではTBSラジオ森本毅郎・スタンバイ」を聴いているのだが、今日の放送で件のアメリカ銃規制デモのことを取り上げていた。100万人以上の人が集まる大変な規模だったらしいのだが、有識者の方が言うには、それでもアメリカの銃規制実現の道のりはまだまだ遠いらしい。デモのスピーチにたまたまちょっと感動した自分が「アメリカまじヤバい!銃規制くるぅ!」と短絡的に1人で自慢気に振る舞ったところで、恥をばらまいただけだった。とは言うものの、規制実現に向けて頑張っている人達は立派であることに変わりない。

 

日曜の日中、自分は渋谷にいた。

目的は弁当箱の購入。自分は普段、会社の昼飯に弁当を持参して、昼時の空腹を解消している。これまでは容量1.3Lの100均タッパを利用していたのだが、いかんせんデカい。デカ過ぎる。カバンにすっぽり収まらないし、デカくてスペースが多いせいで食べ物もぐちゃぐちゃになるし、と「んもうぅ!」と膨れっ面の毎日。

「もう我慢の限界や!」と一念発起し、新しい弁当箱(というかタッパ)を入手すべく、特にあてもなく何となく渋谷へ来たのであった。

 

とりあえずダイソーへ。ここでいきなり大本命タッパに出会う。4点閉じの上にOリング密封という素晴らしいタッパ。デザインも清潔な薄いブルーでイカす。とは言え、まだ一店舗目。焦りは禁物である。一旦、ダイソーを出る自分。

 

そのまま近くのキャンドゥへ。自分はここ最近、死ぬほどキャンドゥに行っている。一週間7日の内、5日はキャンドゥに行っている。全然、死ぬほど行っていなかったが、自分はキャンドゥ好きである。100均の有名処というと、ダイソー、セリア、キャンドゥだと個人的に思っている。順位を付けるとしても、この順番だと思う。クオリティ、品数のダイソー。デザインのセリア。

そんな100円玉戦国時代にキャンドゥがどう食い込んでいるのかと言うと、程よい品揃え、程よいデザインだと自分は思う。多すぎない商品、広すぎない店内、ハイセンス過ぎないデザイン、あたりがキャンドゥの強みだと思う。良くも悪くも「普通」。そして、店内でエンドレスリピートされているキャンドゥ・マーチの中毒性。自分は先週から家に帰る帰り道ではまず脳内でキャンドゥ・マーチが頭に流れている。マスコットのワンドゥが可愛いんだ。ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ、キャンドゥ!

キャンドゥに入り、弁当箱になりそうなタッパを探す。全然良いのがなかったので、速攻で店を出た。

 

ここで自分は欲を出す。弁当箱(というかタッパ)、最上級の戒律。それは「108円以内」。その戒律を自分は破ってみたくなった。108円以上の弁当箱が見てみたくなったのである。ということで、近くの東急ハンズへ。

で、東急ハンズではご丁寧に弁当箱専用コーナーがありやがった。テンションだだ上がりである。オシャレでカッコよくてキュートでプリチィなお弁当箱が所狭しと鎮座している。「へっ。ちとおいらにゃぁ、ハイカラすぎやしねぇかい?」と1人うそぶき、照れながら860円(税抜き)の弁当箱を棚に戻す。周りは幸せそうな家族、熱々のアベック、キャッキャはしゃぐ友人グループ。みんな、お花見とかそういう楽しいイベントに向けて素敵なお弁当箱を選んでいるのであろう。「タッパタッパタッパタッパ…」と狂ったようにぶつぶつ呟き続けているようなむさ苦しい独身男がいてはいけない場所である。

 

浮気心でタッパではない、そういうほんまもんの弁当箱を目の当たりにしたが、食い物を詰め込むだけの箱に銭をポンポコ支払う自分ではない(貧乏なだけ)。しかし、東急ハンズ、やるじゃん。

 

勢いづいた自分は東急ハンズを出た後、無印良品にも足を伸ばす。が、無印良品にはタッパも弁当箱が見当たらなかった。あると思うのだが、自分が見つけられなかっただけかも知れない。というかもう疲れてしまっていたので、探しかたも雑だった。

 

1日の内に、おびただしい数の弁当箱、タッパを、見て、触って、吟味してきた。そして最終的に自分が選んだのは、結局ダイソーの最初のタッパであった。「弁当箱は108円」の戒律はまたしても守られた。

 

弁当なんて言っているが、自分が毎朝こしらえているのは、そんないいものではない。

タッパの9割に米を押し込み、後の1割に冷凍食品のおかずを3つ置くだけだ。いつも2、3分で完成する。

弁当と言うよりは、「人が食べることのできるものを入れた箱」という感じである。だからチマチマした仕切りなんて邪魔だし、二段重ねなんて論外。洗いやすく、漏れず、詰め込み易く、安い、100均タッパこそ理想の戦闘種族サイヤ人である(?)。

 

で、今日、月曜日。おニューのタッパで昼飯を食べたのだが、まぁ入れ物でご飯ってこんなに美味しく感じるかと大満足。今までの1.3Lバカでかいサイズから750mlにスリム化したし文句なしである。108円でこんなに幸せになる自分が悲しいわ。

 

明日は森友学園問題、財務省前理財局長の佐川氏の証人喚問である。ニュース盛り上がるぞぉー!

 

https://m.youtube.com/watch?v=Py2Z04IPYBE

沈黙の銃規制

昼と夜で寒暖の差が激しい。

とは言うものの冬は明らかに終わっている。

待ち焦がれていた暖かい陽気がやってくると寂しくなる自分。この陽気もいずれ終わってしまうのか、と先回りで悲観するというつくづく辛気くさい性格である。あー、辛気くさ。

 

やたらめったら楽しみにしていた3月17日実施の小田急ダイヤ改正複々線である。小田急ユーザーの端くれとして、朝と夕方の地獄の混雑が緩和・解消されるかもしれないというのは森友問題、日本年金機構の外部委託問題、文科省の圧力問題、その他諸々と並んで重大な問題である。

 

通勤に小田急小田原線を使っている人は骨身に滲みてよく分かっていると思うが、混雑ぶりがまぁ酷い。上京するまでテレビのドラマなんかで見ていた満員電車の映像。電車車内の窓にへばりついたサラリーマン達。あれは現実だったのである。というかポジショニングを誤ると今でも窓にへばりつく羽目に陥るときがある。とにかく電車出入口付近に留まってはいけない。合言葉は「座席スペースを目指せ!」である。

 

小田急ダイヤ改正の謳い文句にて、栄光の混雑の緩和・解消がある。「現行 乗車率190%台の混雑→改正後150%台への改善」と堂々と宣言している。というか、そもそも乗車率100%って一体何なのか?と思わずにはいられない謳い文句である。我々乗客は設計乗客数を余裕で越えた乗り物に乗っているのか。で、肝心のダイヤ改正後の混雑実感具合はというと…正直変化無し。夕方はほんのすこぉしだけ空いている時もある気がするが、朝の通勤はびた一文変化なしの混雑ぶり。やっぱこんなもんか、と落胆した次第であります。解散!

 

アメリカでは現在、銃規制のデモ抗議が白熱している。最近あった高校での銃乱射事件が発端となっているらしい。Twitterでデモの様子をツイートしている人が「この人のスピーチ、歴史に残る。」と呟いており、アップされていた動画を見たところ、事件があった高校の女子生徒エマ・ゴンザレスさんがスピーチしていたのだが、その内容に驚いた。

事件で亡くなった級友達の名前を思い出と共に読み上げるのだが、途中で突然口をつぐみ、じっと前を見つめるのである。

感極まって喋れないのか?とか思ったが、それにしても沈黙が長い。本当に長い。スピーチ終わったのか?でも、彼女は壇上から頑として動く気配が無い。これ大丈夫かよ?と見ているこっちが不安になってくる。聴衆もまばらに拍手したり歓声を挙げたり、落ち着かない。それでもまだ彼女は喋らない。動かない。一体これは何なのか?放送事故?まだ喋らない。…まだ。まだ喋らない。………。

ピピピ。

タイマーの電子音が突然鳴った。彼女はようやく口を開く。「私がステージに上がってから、6分20秒がたちました。銃撃が終わった時間です。命のために戦おう。」颯爽とステージを後にする彼女。

自分は感動していた。何てインパクトのあるスピーチか。16-18歳の女子学生が凄く肝の据わったパフォーマンスである。世間では名だたる大企業が社員のプレゼン教育に力を入れていると思う。堂々と聴衆を見て、ジェスチャーを交えて話す。スライドは要点をまとめてとか、話したいことではなく聴衆が聞きたいこと知りたいことをプレゼンしろ、など微に入り細に入りの話がてんこ盛りである。世界中のプレゼンのエキスパートを束にしても彼女のスピーチにはかなわないであろう。彼女のパフォーマンスはかなり独創的である。長時間の沈黙は手抜きなんかでは無いであろう。恐らく彼女は亡き級友達のこと、事件当時のことに想いを馳せていたのでは。少女が大勢の聴衆の前で見事なパフォーマンスであった。

 

ポール・マッカートニーも銃規制支持を表明した。「アメリカで自分の親友が銃で死んだ。」と話し、自分は思わずハッとした。アメリカに銃規制があればジョン・レノンは死んでいなかったかもしれなかった。

アメリカの銃規制、本当の本当の本当に動きがあるかもしれない。

 

https://m.youtube.com/watch?v=u46HzTGVQhg